6月22日の読売新聞夕刊、14面の片隅に小さな写真つきで「樹海は泣いている」という記事がありました。例によって自殺者の話かなと思いましたら、ゴミでした。
― 富士山麓の青木ヶ原樹海。山梨県富士河口湖町の林道沿いで、使用済み注射器やタイヤ、冷蔵庫が出てきた。清掃の指揮をとるNPO富士山クラブの舟津宏昭さんは、1トンを超える成果に「悲しい」。汚れているのは人の心。(哲)―
人が公共の場所にゴミを捨てるのは、今に始まったことではありませんし、日本に限ったことでもありません。しかしそれにしても、なぜ人は森や林、そして海や川を前にすると、物を捨てたくなるのでしょう。
私が毎朝歩く仙川にも、ゴミがよく捨てられています。ペットボトルやアルミ缶、スーパーのレジ袋などは、いくら清掃員が片付けても、翌日には必ず新たなものが捨てられています。やむなく、橋にこんな注意書きがつけられます。
― 不法投棄パトロール重点地域/この周辺は不法投棄が多く大変迷惑しています。/不法投棄は「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」によって厳しく処罰されます。―
と、法的処罰をチラつかせて警告しているのですが、少しも効果はありません。つい先日は、勝淵神社前の丸池公園の池に、タイヤのないオートバイが捨てられていました。また、仙川河畔の私の折り返し地点「新川大橋」の少し手前には、奇妙な物体が川に捨てられていました。手すりから覗き込むと、駐輪禁止の鉄パイプで作った標識でした。この附近は駐輪禁止となっているのですが、写真でご覧のように、駐輪はあとを絶ちません。きっと禁止が頭にきて2つあったうちの1つを投げ捨てたのでしょうね。右下の写真をご覧ください。草むらに見えるのは仙川の水際ですが、そこに埋もれるように標識の「駐」の文字が見えます。
公共的な場所に私的なゴミを捨ててはいけない、というのは社会生活に必須の公徳心だと思いますが、これは子どものころに叩き込まなければ身につきません。
今、捨てて平気な人は、そういう教育を受けてこなかった大人たちなのです。彼らに警告したり注意することはもう無駄でしょう。現行犯逮捕するしか方法はありません。
そして、何よりも大切なのは、子育て中の親や、小学校の教師たちがしっかりと子どもに教育することではないかと思います。時間はかかりますが、それしか方法はありません。どうにも、いやな世の中ですね。

私は、子供の頃から公共の場にゴミを捨ててはいけないと、自分に固く言い聞かせて実行してきました。タバコのポイ捨てもいつも許せませんでした。でも、実際に社会に出ましたら、成功している人たちは、そのほとんどが公共の場にゴミを捨てて、タバコのポイ捨ても平気な人たちでした。そんな人達に「お前はだからダメなんだ」といわれる昨今、大変な怒りを感じています。