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●幼年時代

 第2次世界大戦敗戦後の、荒廃と貧しさが全国各地にまだ色濃く残る1955(昭和30)年。北海道札幌市の中心街にある大通小学校(札幌市立)に通学する、6年生の少年の1年間を描く半自伝的小説。大きく社会が変化して行く中で、当時の少年はどんな生活をしていたのか。今はすっかり大都会となった札幌の自然描写にも注目。

幼年時代 第3回 英樹の忠告、浩は女の子の気持ちがわからない

 最後の授業はローマ字だった。予習なんかまったくしていないから、読みを当てられたらいやだな、と思って少し緊張した。国語の読みは得意だが、どうもローマ字はスラスラ読めない。こんなもの何の役に立つのかといつも思っていた。それに、前の授業で先生は黒板に「ONE」と書いて、これはローマ字だと「オネ」と読むが、中学から習う英語では「ワン」と発音する、っていっていた。だったら、ローマ字の勉強は、英語の勉強の邪魔になるんじゃないのか、そんな気がして予習する気になれなかったのだ。
 もう、窓の外を眺める気にはならなかった。誰かが、つっかえつっかえ、「犬のポチは骨が好きです。太郎は夕食の残りの骨を、ポチのためにとっておきました」なんて読んでいる。馬鹿馬鹿しい文章だ。そういえば、教科書ではポチを“Poti”って書いてあるが、隣の高校生が、本当は“Pochi”って書くんだよ、っていっていた。夕食だって教科書は“Yusyoku”だけど、“Yushoku”の方がいいっていっていた。何だかよくわからない。でも、テストの時は教科書の通りに書かないと駄目なんだ。読みは席の右列一番目から順に当てられたので、幸い俺には当たらなかった。
 もう終わろうというときに突然、松島が、
「先生、浩はこの間も当たらなかったから、今日は最後に浩によませてください、お願いします」
 といったので、俺は驚いた。何をいい出すんだ、あいつは。そうか、さっきの続きだな、と俺は思った。
「いや、浩は読ませなくても読めるのがわかっているからいい。今日はこれまで。放課後のグループづくりはしっかりやること。みんなリーダーに紙を渡すのを忘れないように、ケンカせずに、いいな」
 先生はじつにまずいことをいった。それぐらいは俺にもわかる。松島のまわりの生徒が、不満そうな声をあげ始めたので、俺は、元気一杯の大声で、
「起立。礼」
 と、いった。松島は横を向いたまま膨れっ面で、しぶしぶ礼をした。

 授業が終わると、真ん中の列から右の半分が1年生の教室、左の半分が自分たちの教室を掃除する。これを1週間交代でする決まりだった。それぞれの現場に向うついでに、もう何人かが名前の書いた紙をグループのリーダーに渡し始めていた。俺のところには、真っ先に曽根克子と吉田昌子がきた。2人は俺と大の仲良しだったから、これは当然だった。俺たちのクラスは3年生になるときに組替えがあってから、もう4年も替わっていない。本当は2年ごとに替わるはずなのに、どうしたわけか5年になるときに組替えが中止になったのだ。
 曽根も吉田も家がすぐ近いせいもあって、お互いの家に気軽に遊びに行くほど仲が良かった。もう1人近所の岡田満子がまだ来ないが、彼女は1年生の教室掃除に行ったので後でくるはずだ。この3人はクラスでも可愛い子の代表だった。女の子はカッコいい男か、勉強のできる男が好きなので、彼女たちはきっと俺の成績が好きだったのだろう。遊びに行くとどこでも俺は歓迎された。とにかくこれで女子の3人は決まりだ。
 周りをみると、松島たちのまわりにも結構人が集まっていた。調子いいというか素直というか、松島も女の子に囲まれてニコニコしている。高橋、伊藤、斎藤もなんだか嬉しそうだ。案ずるより産むが易しってやつかもしれない。俺はホッとした。

 そこに英樹がやってきた。彼は足が悪いので掃除は免除されている。
「お前も苦労するな。松島はヤキモチ焼いてるだけだから心配ない。それより、曽根、吉田、岡田の3人には注意したほうがいいぞ。お前このごろ5組の青山静代と仲良くしてるだろ。あの子たちは、それを気にしてる。浩は自分のクラスを大事にしないで他のクラスの人と付き合ってばかりいるっていってたぞ。
 特に岡田には気をつけろ。岡田は家が近所だから、堀川千代乃と仲がいいだろう。堀川と青山は同じ5組だから、情報が筒抜けなんだ。お前はまったく鈍いからな。女の子の気持ちがわかってない。とにかく注意しろ」
 俺はまた驚いた。女の子ってそんなふうに思うものなのか、と不思議だった。たしかに、最近俺は青山静代と仲良くしてる。それは、学級委員の代表者会議が毎週1回あって、そこで会うから自然に付き合いが始まったので、特に静代が好きだという気持ちがあったわけではない。

 ただ、静代は学校一の美人だという評判だ。男の子はみんな憧れていたし、卒業した中学生のなかにも、いまだに彼女に言い寄っているやつがいるらしい。そういえば母も、静代ちゃんはきれいな子ね、といっていた。母は女の子を可愛いということはあっても、めったに“きれい”とはいわないので、静代は本当に美人なのかもしれない。
「わかった。何を注意すればいいんだかわからないけど、注意するよ。それよりエキ、お前も社会見学行かないか? 新聞社や放送局って面白そうじゃないか。」
「そうか。じゃ、お前のグループに入れといてくれ。行くかもしれないし、行かないかもしれない。お前が心配だから付き添いで行くか」
「何いってるんだ。付き添いなんかいらないよ。ガキじゃあるまいし」
「いや、お前はガキだよ。成績はいいかもしれないが、人の気持ちがよくわからないガキなんだ。特に女や先生にお前は弱い。俺は心配してるんだ」
「そうかな。お前にいわれると、なんだか自分でもそう思えてくる」
「そうさ。お前は本当は素直でいいヤツなんだが、誤解されやすいんだ。学校の勉強なんていつでもできるけど、人の気持ちを読むのは、それこそ今からしっかり勉強しなきゃ駄目なんだ」
「あのね、エキ、今日放課後に道庁の池にタニシを採りにお前と一緒に行きたくて誘おうと思ってたんだ。でも、今日は駄目になっちゃったな。明日行こうか」
「うん、天気がよかったら行ってもいい。でも、何でタニシなんか欲しいんだ?」
「特別な意味はないんだけどさ、昨日行って採りそこなったから悔しいんだ」
「お前も子供だね。じゃあさ、放課後じゃなくて、土曜日の午後とか、日曜日にゆっくり行こうよ。そうすりゃ話もいろいろできるじゃないか」
「うん、そうだね。じゃ、明日また相談しよう。社会見学も忘れるなよ、エキ」

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