薄汚れたガラス窓の向こうで、アカシヤの枝が風に揺れている。あの木の下を左に数分も歩けば、道庁の池に着く。昨日獲り損なったタニシを今日こそ獲りたい。誰と行こうかと、アカシアの丸みを帯びた葉を数えながら考えた。熊谷隆は何でもいうことをきくので便利だが、動作が鈍い。その上チビだから深い所では役に立たない。そうだ東谷英樹がいい。あいつにしよう。彼なら片足が不自由だが、すばしこいし、口が堅いから好都合だ。
東谷英樹は勉強はあまり出来ないが、子供の知りたいことを何でも知っている。たとえば、赤ん坊は母親のお腹から生まれるんじゃない、尻から絞り出すように産むんだ、と他のヤツには内緒で教えてくれた。1ヵ月前の放課後、体育館の裏に連れて行かれて、1語1語噛んで含めるような口調で彼は話したのだ。俺は心底驚いた。他のことなら1発頭を殴りつけて、バカいうな、と相手にしないのだが、英樹は女の体のことや、男と女のこと、先生の秘密については、どこから仕入れてくるのか確かな情報をもっていたし、観察力が鋭い。尻から生まれるというのは、母から聞いた「腹を切って生まれる」、祖母が困った顔をしていった「額が割れて生まれる」、という2説よりはるかに説得力があると俺は思った。
また、英樹は秘密めいた話をする場合のタイミングと場所選びがうまい。赤ん坊の話の時に体育館の裏を選んだのは、その1週間前に、5、6年の女子が全員体育館に集められて、特別な授業があったからだ。男子は教室で自習させられて、教室から1歩も出てはいけないときつくいわれた。彼以外の男子生徒は何の疑いもなく先生の指示に従ったが、英樹はこれは怪しいと直感した。きっと女の体に関わる特別な授業に違いない、そうでなければ男子を教室に軟禁する必然性がない、とにらんだのだった。
彼はそっと教室を抜けだし、体育館の裏側に行った。本館との間の、地面がいつもジメジメと湿っている、犬か猫しか通らない狭い路地を、体を壁に擦りつけながら、彼は真実の探求と正義のために進んだ。路地が行き止まりになる少し手前に、誰も気づいていない小さなゴミ出し用の窓がある。下辺が体育館の床面に合わせてあり、高さが10センチ、幅は30センチほどしかない小さな窓だ。そこからなら覗いても内側の人間に気づかれる心配はない。英樹は蜘蛛の巣を払い、5センチほど開けて耳を澄ませた。
その隙間からは女の子の足が膝のあたりまで見える。こんな位置から見るのは初めての体験なので、彼は少し興奮したという。誰のともわからない女子の足がずらりと並んでいるのは不思議な光景だった。太い、細い、白い、黒い、真っ直ぐ、曲がった、硬そう、柔らかそう。ずいぶんいろんな足があるものだと感心した。足に神経が行っていたせいか、話しのほうは半分も耳に入らなかった。マイクの音量が朝礼の時よりもなぜか小さくされていたのも災いした。
しかし、声の主が男子に圧倒的な人気の山崎徳子先生であることはすぐにわかった。大きめの襟がついた白いブラウスに、黒のタイトスカート。山崎先生の美しい姿を見ると、男子はみな胸がドキドキと高鳴った。ほとんどの男子は正面から見る山崎先生が好きだった。しかし、川村と門脇の二人だけは、後ろ姿のほうがいいという。川村は学年で常に十位以内に入る優等生。ガッチリした骨格の大柄。ニキビが頬に散らばっていた。門脇は成績は中ほどだったが、難しい本をたくさん読んでいた。この2人の意見を英樹はどう思うのか聞いてみたら、彼は川村も門倉もお前たちよりは大人だが、女についてはまだ何も知らない。前がいいとか後ろがいいとか、そんなことはどうでもいいんだ。女の何がいちばん大切かは、そのうち教えてやる、と鼻の穴を膨らませていった。
山崎先生の声は、少し湿り気があって優しい響きがした。「ということなのね」「注意してね」「だめですよ」「こう考えてください」といった結句と、「大切なのは」「みなさんは」「女性に与えられた」「もう知っているかもしれませんが」などという文頭が、切れ切れに英樹の耳に入ってきた。間に挟まれる単語は、彼が予想したとおり「生理、精子、卵子、受精、妊娠、出産」という刺激的なものだった。話の脈絡はよくつかめなかったが、そんなことは彼にはどうでもよかった。どうせ話の中身は知っていることばかりのはずだから、予想が当たっただけで満足だったのである。山崎先生の話が終わる前に、英樹は何ごともなかったような顔で教室に戻ってきた。
(注)札幌の山:札幌駅から西隣の桑園(そうえん)駅に向う中間地点から見た札幌市の南西部。手前の低い山は円山(まるやま)、独特の稜線をした奥の高い山は藻岩山。この写真は筆者が2007年8月に撮影したもので、主人公が暮らしていた1950年ころは、手前のような建物は1つもありませんでした。すべてが木造の1階建か2階建で、市内のどこからも常に藻岩山が見えていました。今は高層ビルが林立し、市内からはほとんど藻岩山の姿を見ることできません。藻岩山の形は筆者には、いちばん懐かしい“自然の形”として焼きついています。


こうした男子を隔離した性教育は、昔からの伝統的なものなのですね。私の子供も女の子ですが、先日、そのような授業が体育館であったそうです。どんな話をしたのか、男子にしつこく聞かれたそうですが、確かに話の内容は誰もがすでに知っていること。でも、密かな神秘性があって、子供たちの興味をそそるようです。私も性について興味深い年頃があったことを思い出しました。続きを楽しみにしています。