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●幼年時代

 第2次世界大戦敗戦後の、荒廃と貧しさが全国各地にまだ色濃く残る1955(昭和30)年。北海道札幌市の中心街にある大通小学校(札幌市立)に通学する、6年生の少年の1年間を描く半自伝的小説。大きく社会が変化して行く中で、当時の少年はどんな生活をしていたのか。今はすっかり大都会となった札幌の自然描写にも注目。

幼年時代 第20回 修学旅行決定、英樹の苦悩

 修学旅行の日程が発表になった。6月中旬に洞爺湖、登別温泉を2泊3日で回る、6年生の定番コースだ。1組から4組までの第1班と、5組から8組までの第2班に分かれ、1日ずれて出発する。生徒はみんな楽しみにしていたので、正式決定に大喜びした。

修学旅行第1日目の洞爺湖。左奥に見えるのは羊蹄山。湖に浮かぶのは4つの小島が集まった中島。主人公が後に島に目覚める原点にもなった美しい湖と島です

 昼休みに5組の堀川千代乃が廊下で声をかけてきた。
「浩さん、良かったね。修学旅行の班が違って」
「何のこと?」
「静代ちゃんと一緒の班だと、クラスの女子がうるさいじゃないの。それとも、やっぱり静代ちゃんと一緒の方がよかった?」
「そんなこと全然考えたこともないよ」
「どうだかねえ。でもね、私は行けそうもないの、修学旅行は」
「どうして?」
「そのころに入院して手術しなくちゃならないの」
「えっ、何の病気?」
「怖ーい病気。私、死んじゃうかもしれない」
「またー、ウソだろ。お前、そんな重病になんか見えないよ」
「外から見たって病気はわかんないの。とにかく私に親切にしといた方がいいよ。1年生からの大事な仲間が重病なんだから」

 そこに静代がやってきた。
「真剣な顔して2人でなに話してるの?」
「チーちゃんが重病で入院するから、修学旅行に行けないんだって」
「ああ、盲腸のこと?」
「もうー、ダメじゃないの、静代ちゃんたら」
「なんだ、重病って盲腸のこと?  こら、お前はウソいって脅かして」
「盲腸だって、もしかしたら悪くなってたら重病になるじゃない、ね、静代ちゃん」
「大丈夫よ、チーちゃんは。浩さんほんとに心配したの?  優しいんだね、チーちゃんに」
「そんなことないよ」
「浩君は昔の仲間より、静代ちゃんの方がずっと大事なんだもんね。だから、今いってやったの、修学旅行が別な班でよかったって」
「もー、チーちゃんて意地悪ね」
「そんなこともういうなよ。それから盲腸は俺の方が先輩だからな。特に手遅れの盲腸は。チーも同じ組だったから知ってるじゃない」
「そんなこと忘れちゃったよーだ。じゃあね、仲良しのお2人さん」
「変なヤツ」
「いいじゃない、2人が仲いいのは本当なんだから。でも、班が違うのはがっかりね。奇数と偶数に分ければ同じだったのに。じゃ、また帰りにね」

北海道最大の温泉といえば、登別温泉。主人公は温泉よりも、あちこちでボコボコと煮えたぎる地獄谷の光景がいつまでも印象に残りました

 静代は班が違うことをそれほど気にしている様子もなく、明るい顔をして立ち去った。最終時間の授業が終わると、担任の西先生から修学旅行についての詳しい説明があった。俺たち第1班の出発は6月21日火曜日。午前9時学校に集合、札幌駅10時発の普通列車で出発、同日洞爺湖のホテルに1泊、翌22日水曜日は登別温泉に1泊。23日木曜日午後3時札幌駅着の予定。駅で解散。翌日金曜日はいつも通りの時間に登校する。帰ってきた翌日は休みだとばかり思っていたので、少しがっかりした。
「修学旅行は、その名の通り、学ぶための旅行で物見遊山に行くわけじゃないから、そのつもりでしっかり準備をすること。この間の社会見学の班をそのまま準備班にする。それぞれテーマを決めて、ガリ版で修学旅行手帳を作るんだ、いいか。テーマは各班のリーダーがよく話し合って、重ならないようにしなさい。今日は5月24日火曜日だから、6月10日金曜日までに、まず先生に下書きを提出しなさい。それに先生が目を通して、間違いを直したらガリ版を切ること。まだ時間があると思ってのんびりしてると間に合わなくなるぞ。じゃ、今日はこれでおしまい」
 またまた、班別の作業ができてしまって、吉田と曽根に付き合わなくてはならない。

 1年生の教室の掃除をしていると、英樹がやってきた。
「今日はこれから何もないのか?」
「うん。どうした?」
「少し話したいことがあるんだ」
「なんか元気がないな。心配事でもあるの?」
「大したことないさ」
 このごろ英樹の元気がなくなってきた。やっぱり、お母さんのことが原因だろうか。
「掃除はもう終わりだから、この教室でいいか? 誰もいないし」
「ああ、どこでもいいんだ。あのな、俺は多分修学旅行には行かないと思うよ」
「どうして?」
「お前だけはわかって欲しいんだ。うちは今もめてるだろ。母さんがあんなに具合悪いのに、俺はどうしても修学旅行なんか行く気になれないんだ。それに貧乏だしな。浩、でも俺は寂しくも悲しくも、つらくもない。強がりじゃない、本当に行きたくないんだ。本当は俺、学校にも来たくない。だけど、学校は義務教育だからな、仕方なく来てる。それに、お前みたいに、何の差別意識もなく付き合ってくれるヤツがいるから。俺、お前がいるから毎日学校に来てるようなもんさ」
「そんなこというなよ。俺はお前のこと特別に思ってるわけじゃないさ。ただ、普通に付き合ってるだけだから、そんな風にいわれると恥ずかしいよ」
「あのな、その普通が俺には嬉しいんだ。うちの学校は親切なやつがほとんどだけど、親切にされると、俺はそいつの腹の底に、英樹は足が悪くて可哀想だからって気持ちがあるのが見えちゃうんだよな。普通だってお前は簡単にいうけど、普通ってのが難しいんだ。お前が3年生からずっと、俺と普通に付き合って、足のことや歳のことなんかほんとに気にしてないのが、俺は嬉しいんだ。
 成績のいいヤツとか、金持ちのうちのヤツって、たいてい親切そうだが、腹の中では俺のことを気の毒に思ってる。だから、この間、道庁の池で、青山や安田と話して俺びっくりしたんだ。安田なんか全然俺を差別してないよな。本当いうとあの時嬉しかったんだ、俺」
「青山だって差別してないよ。だけど、お前そんなこと何で今日になっていうの」
「ここんとこ、母ちゃんの様子がどんどん悪くなるだろ。気が滅入ってさ、何でもいいからお前と話したかったんだ。そしたら、今日急に修学旅行が決まってさ。タイミング悪いよ」
「そうか。あのな、昨日の帰りに青山がいってたんだけど、お前がこのごろ元気がないから、また一緒にどこかに遊びに行こうかって」
 俺は少し嘘をいった。でも、静代は賛成するはずだから、まったくの嘘というわけでもない。
「そうだな。この間は心配したけど、面白かった。でもやっぱり女の子は俺は苦手だな」
「女の子っていったって、青山も安田もそのへんの男の子よりずっとさっぱりしてて、気持ちいいよ」
「そうかもしれないな。ほんとに一緒にどっか行きたいな。藻岩山は無理だけど、円山ぐらいなら俺でも登れるかな」
「ああ、あそこなら大丈夫かもしれない。俺考えとくよ。ところで、エキ、お母さんほんとのところ、どうなんだ?」
 英樹は涙を浮かべているように見えた。よほどお母さんが悪いのだろうか、俺は心配になった。
「なんかな、あんまり口きかないし、時々死にたいなんていうし」
「ほんとか? うーん、困ったな。お父さんはどうしてるんだ?」
「知らないよ、最近あんまり家に帰って来ないから」
「そうか。俺、お前より子供だから何もわからないけど、なんかできないのかな、俺に」
「うん、1度俺んちくるか、汚くて狭いとこだけど」
「何回か行ってるじゃないか、汚いとか狭いとか、お前、そんなこと関係ないよ」
「そうだったな、じゃ俺、母ちゃんと話してみる」
 俺が遊びに行ってどうなるのかわからないが、英樹には何か考えがあるのかもしれない。彼は少し元気を取り戻したようだ。そこに静代がやってきた。
「あら、英樹さんと一緒だったの」
「一緒で悪かったな」
「そんなことないよ。元気、英樹さん?」
「うん、俺はいつも変わらないさ」
「今、2人で話してたんだけど、近いうちに4人で円山でも登ろうかって」
「ああ、そうね。あそこなら、英樹さん大丈夫かもしれないね。行こう、行こう。南ちゃんの送別記念円山登山、なんて面白い企画じゃない?」
「安田もくるかな?」
「来るわよ。英樹さんと勝負するんでしょ。楽しみだなあ」
「修学旅行の前に行けるといいね。僕、いろいろ考えておくから」
「じゃ、俺はもう帰る。どうせお前たちとは方向が違うから。あ、そうそう。あんまり仲良くし過ぎると危ないから気をつけろよ」
「また、あんなこといってる。大丈夫ですよーだ」
「じゃ、また明日な」
 英樹がだいぶ元気な顔になったので、少し安心した。
「円山に登るって英樹さんからいったの?」
「うん。あいつほんとにデパートの屋上より高い所には行ったことないはずだよ。それで円山ならって思ったんだろうな。あの山なら百メートルぐらいだし、険しいところないから、みんなで助け合えば登れるかもしれない」
「4人でどこか行く気になって良かったね」
「うん。あいつ照れ屋だから真っ直ぐにいえないんだろうけど、この間の南ちゃんとああいうふうに話せたのが嬉しかったんだ。いいヤツだっていってたよ」
「あら、南ちゃんだけなの?」
「えっ?  静代ちゃんは僕と一身同体だから、いい人と思ってるに決まってるさ」
「えっ、今なんていったの?」
「英樹は静代ちゃんを仲間と思ってるってこと」
「違う、違う。その前の言葉よ」
「えーっと、なんだったっけ」
「うん、もう意地悪なんだから。静代ちゃんと僕は……」
「一身同体?」
「そう、そう。私、嬉しいな。浩さんほんとにそう思ってる?」
「思ってるさ」
「わー、嬉しい」
 静代は思いっきり体をぶつけてきた。
「危ないよ」
「危なくないよ。転んだら助けてあげるから」
「手が痛いよ」
「このぐらいで痛いの? 弱虫だね」
「だって、静代ちゃん握力結構強いんだもん」
「この力はね、握力じゃないの、心の力なんだから」
「でも、英樹はほんとに苦しんでるなあ。近いうちにあいつのうちに行くことにしたんだ」
「私も一緒に行こうか?」
「いや、最初は僕1人の方がいいよ」
「そう? 私にもできることがあったらいってね」
「うん。じゃまた明日」

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