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●幼年時代

 第2次世界大戦敗戦後の、荒廃と貧しさが全国各地にまだ色濃く残る1955(昭和30)年。北海道札幌市の中心街にある大通小学校(札幌市立)に通学する、6年生の少年の1年間を描く半自伝的小説。大きく社会が変化して行く中で、当時の少年はどんな生活をしていたのか。今はすっかり大都会となった札幌の自然描写にも注目。

幼年時代 第19回 タニシの不思議と、英樹の気の毒な母親

 タニシのことが気になっていたので、学校の図書室で調べた。驚いたことに、タニシは雌雄同体ではなかった。ちゃんと雄、雌があって、体は雌の方が大きい。不思議なのは雄の触覚が陰茎の働きをする、ということ。陰茎が雌のどことどうなれば、子貝が出来る仕組みになっているのだろう。
 それに、子貝は雌の殻で育つというが、子貝は雌のどこからどんなふうに生まれ出るのか、そんなことは事典には書いてない。土曜日にとったタニシを観察してもわからない。どうも世の中は肝心なことがわからないように出来ているらしい。タニシの雌雄も、人間の男女のことと同じで、英樹に聞くしかないのだろうか。でも、英樹は人間の男女のことしか興味がないみたいだから、駄目だろう。
 タニシの種類も間違っていた。形の違う4個は全部マルタニシだったようだ。大きいのは雌で、小さいのが雄、少し細いのは単に痩せていただけらしい。とにかく、タニシも人間と同じように、性別があって、結婚のようなことがあり、子供を産む。子育てをするのかどうかは、まだわからないが、親があるということは家族の意識があるのかもしれない。俺はもうこれからは、食べるわけでもないタニシを遊びでとるのは止めようと思った。

 月曜日は何ごともなく授業が終わり、静代と一緒に帰った。
「英樹さんの家には行ったことあるの」
「うん、2、3回。桑園(そうえん)駅の近くで、線路のすぐ手前。汽車が通るとすごい音がする」
「怖いわね」
「僕ね、機関車も汽車も好きだけど、すぐ目の前で見る機関車は怖いよね。あの太いシャフトと大きな車輪が目の前に近づいて来ると、猛獣が牙を剥いて襲いかかってくるみたいだもん」
「私も急に大きい音で汽笛を鳴らされると怖くて体が縮んじゃう」
「蒸気機関車は遠くから見るのがいいよね。英樹なんか慣れちゃって、全然怖がらない」

「あのね、浩さん。道庁で4人で話してたとき、私ちょっと感じたんだけど、あの人何か悩みがあるんじゃない? 時々くらーい顔するでしょう?」
「うーん。なんでも、お父さんお母さんの仲が悪いらしくて」
「じゃあそのせいかもしれないね。でも、子供があんな暗い顔するほど仲が悪いの?」
「よくわかんないけど、お母さんが可哀想だっていってたな」
「ふーん」
「静代ちゃんちはどう?」
「うち? 普通じゃないかな、特に気にしたことないけど」
「うちも普通だと思うけど、お母さんは時々お父さんは昔頼りなかったっていうことあるよ」
「頼りないって?」
「お嫁に行った最初のころ、おばあちゃんにイジメられたんだけど、全然味方してくれなかったんだって」
「お父さんはおばあちゃんの味方をしたの?」
「そうじゃないけど、おばあちゃんに何もいえなかったみたい。だらしないよね」
「浩さんだったら、お嫁さんのためにちゃんといえる?」
「いえるさ」
「頼もしいんだね」
「それに、うちのお母さん、自分が苦労したから、僕のお嫁さんには絶対苦労させないって、いつもいってるから心配ないさ」
「じゃあ浩さんのお嫁さんは安心だね。英樹さんのうちは、おばあちゃんの問題なの?」
「いや、おばあさんはもういないみたいだよ。もっと違うことがあるんじゃないかなあ」
「何なの? 浩さんは知ってるの?」
「うーん。ほんの少ししか知らない」
「どんなこと?」
「それはいえないよ、英樹だって知られたくないだろうし」
「私にもいえないの?」
「だって男どうしの内緒の話だもん」
「私より英樹さんとの友情が大事ってわけね」
「そういうわけじゃないけどさ」
「じゃあもう、聞かなくてもいいよ。英樹さんは仲間だからちょっと心配しただけ。別な話しましょ」
「なんか気持ち悪いなあ。静代ちゃん怒ってるでしょ?」
「ぜーんぜん。この間から私、浩さんのお陰で少し大人になったから」
「なんか気持ち悪いんだよなあ」
「大丈夫だって。でもほんとに気持ち悪いなら、体によくないから吐き出しちゃったら」

 静代は握った俺の左手に力を入れて揺するようにした。女の子は自分のいい分を通すのがうまい。吉田は最上級の笑顔で見つめるし、曽根はツンとフクレて口をきかなくなる。岡田はすぐ泣くし、堀川は母にいいつけてやるって脅す。俺は英樹を裏切るのもいやだが、静代にムクレられるのもいやだった。
「あのね、静代ちゃん。この話は2人だけの秘密だよ。英樹の前でも知らないフリすること、わかった?」
「浩さん、何いってるの?  私たちは一緒に死ぬ約束までした特別の関係なんだよ。私が浩さんの困るようなことするわけないじゃない。それが信じられないなら、何もいわなくていいから」
「信じるよ、ほんとに。でも、僕も詳しいことはまだ聞いてないんだけど、英樹のお父さんには、ほかの女の人がいるらしくて、それでお母さんが苦しんでるらしいんだ」
「ふーん、そういうことか。悪いお父さんだね」
「悪いよね」
「私、そういうの許せないなあ。なんとか助けてあげたいね」
「英樹もお母さんが可哀想だっていってた。その女の人、英樹のうちにきたことあるんだって」
「えーっ、ほんと? 信じられないね。いやな女だよね」
「でも、その女の人にも何か事情があるかもしれないよ」
「どんな事情があっても、それは変だよ。だって英樹さんが見たことあるんなら、子供のいる前に顔を出したんでしょ? お父さんはどうしたのかしら?」
「知らない。そこまで聞いただけで、あとは何も知らないんだ。何をどう聞いていいかわからないし、あいつもそれ以上いわなかったから」
「うーん。知りたいね、詳しく」
「そのうち、英樹に詳しく聞いておくよ」
「ねえ、その話するとき私も一緒にいたいなあ。だってそういうことって、浩さんより私の方が適任でしょ、ね?」
「うん、そうかもしれないけど、急がないでよ。英樹がいいたい時に聞いてやるのがいちばんいいと思うから」
「わかった、わかった」

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