カテゴリー

カレンダー

2010年9月
« 8月    
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  

●幼年時代

 第2次世界大戦敗戦後の、荒廃と貧しさが全国各地にまだ色濃く残る1955(昭和30)年。北海道札幌市の中心街にある大通小学校(札幌市立)に通学する、6年生の少年の1年間を描く半自伝的小説。大きく社会が変化して行く中で、当時の少年はどんな生活をしていたのか。今はすっかり大都会となった札幌の自然描写にも注目。

幼年時代 第15回 道庁の庭で英樹と話す

旧北海道庁

 北海道庁(注)は赤レンガのどっしりした洋館で、広い前庭には大きさの違う楕円をいくつか繋ぎ合わせたような形の池がある。水際には2、3メートルおきに打った棒杭を、くたびれた紐で結んだ、申しわけ程度の柵がある。柵の内側には芝生が植えられているが、手入れが行き届かないのか、あちこち芝が抜けてトラ刈りの頭のようになっている。
 この庭には、ボート遊びもできない小さな池があるだけだ。美術館やプールがある南の中島公園、本格的な野球場や運動場があり、鬱蒼とした森に囲まれた西の円山公園に比べれば文字通り、ほんの箱庭だが、市内の中心部にあって足場がいい。子供たちには学校の帰りに気が向けばひょいと立ち寄れる格好の遊び場だった。俺は学校で何か面白くないことがあったり、父に叱られたときには、よく1人で行って憂さ晴らしをしたものだ。夏は池でタニシを採ったり、木々に集まる昆虫をつかまえた。冬は凍った池がスケートリンクになる。
 土曜日の授業は昼で終わるので、午後から英樹と2人で道庁の池に行くことにした。昼飯は母が2人分のおにぎりを用意してくれた。いつもは学校の帰りにだまって行くのだが、この日は前の晩に英樹と池に行く話をしたら、昼飯を用意してくれたのだ。母は英樹君には親切にしなくちゃダメよ、といった。母は英樹の家庭に何か問題があるのを知っているらしい。

 池の手前の虎刈りみたいにあちこちはげた芝生に座って、おにぎりを頬張りながら英樹がボソっとした調子で話し始めた。
「おにぎり、うまい。お前の母ちゃんは優しいな。でもさ、今日は青山が一緒じゃなくて大丈夫か?」
「うん、一応誘ったんだけど、タニシなんか興味ないから、英樹さんと2人でご勝手に、だってさ」
「そうか。女の子はタニシなんか興味ないよな。でも俺の予想では、あいつはきっと後で来る」
「そうかな。どこか別なところに行くっていってたよ」
「まあ、こういうことは俺の方がくわしいんだ」
「どうして、エキは女のことくわしいの?」
「女のことってより、女の気持ちだよ。俺がお前よりくわしいのは、小さいころからいろんな経験してるからだろうな」
「経験って、どんな?」
「浩にだけはいつか話しておこうと思ってたんだが、俺んち狭いだろ。オフクロとオヤジのいろんなこと、うんと小さいころから見たり聞いたりして育ったのさ」
「うーん、そうか」
「それに、オヤジの女とか、親戚の連中が昔から始終出入りして、俺は知らなくていいこと知りすぎたんだ」
「オヤジの女って?」
「オフクロ以外の特別な関係にある女さ」
「エキのオヤジには、そんな女の人がいたの?」
「たいていの男は、女房以外にも女がいるらしいよ。普通は、そういう女は男の家になんか顔を出さないものらしいんだけど、その女は時々来るんだ」
「お母さんは平気なの?」
「平気なわけないさ。いつも大変なことになる。うちのオフクロも気が強いからな」
「ふーん。そういえば、うちの親戚にも誰かの2号さんだっていうオバサンがいる。薄野に住んでるんだ。でも、その人はいい人だよ。俺より大分年上だけど男と女1人ずつ子供がいてさ、俺は時々遊びに行って泊まることがある。そうそう、去年9月の洞爺丸が沈んだ台風の夜、ちょうどその家に泊まってたんだ。オバサンと、その2人の子供と同じ部屋に並んで寝たんだけど、すごい嵐であの夜は怖かったなあ」
「そのオバサンの旦那って会ったことあるのか?」
「1度もない。なんでもオバさんが定山渓で働いていたときに知り合ったんだって」
「じゃ、オバサンは定山渓で芸者でもしてたの?」
「よく知らない。そんなこと話したことないもん」
「そうか、きっとそうだな。そこの子供たちは変なやつじゃないか?」
「全然変じゃないよ。すごく俺に親切で、坊や、坊やって可愛がってくれる」
「ふーん。それはきっと、オバサンも立派なんだろうけど、旦那もいい人なんだろうな。うちの場合はなんだか知らないけど、いつも大変だ。オヤジが駄目な男なんだろうな。オフクロが可哀想だ。俺、時々家に帰りたくないって思うんだけど、オフクロのことが心配だから、仕方なく帰るんだ」
「家に帰りたくないって、どこか行くとこあるの?」
「まあな。それより、腹も一杯になったし、お前、タニシとったらいいじゃないか」
「うん。エキはとらないの?」
「俺はタニシなんかいらないよ。お前はとってどうするの?」
「どうって、金魚鉢に2、3個入れて、あとはバケツにでも入れとく」
「食べるのか?」
「食べないよ、1度も食べたことない。ただとるだけ。でも食べるとどんな味するかな」
「俺も食ったことないからわからないけど、なんかこの池のタニシじゃマズそうだな」
「池の水、あんまりきれいじゃないもんな。俺ね今日お前とタニシとるんで、昨日調べてきたんだ。
 タニシって、淡水に生息するタニシ科の巻き貝だってさ。殻は右巻き。なんでタニシかっていうと、田んぼにすむ巻き貝だから、田に住む、がなまってタニシ。田んぼは俺入ったことないから知らなかったけど、6、7月ごろに子貝を産んで、冬は泥の中で越すそうだ。熊みたいに冬眠するのかな。それで、種類がマルタニシ、オオタニシ、ナガタニシ、ヒメタニシの4種類がある。この池のはなんだろう?」
「知らないよ、俺、まったく興味ないよ、そんなこと」
「そう、あのね、丸くてぷっくりしてるのがマルタニシ、特に大きくなるヤツがオオタニシ、細長い形したのがナガタニシっていうんだ。でもヒメってなんだろうな」
「ヒメっていやあ、女のことだろう」
「ああそうか。じゃヒメタニシって全部メスなのかな」
「そんなことはないだろう。全部メスだったら子供ができないじゃないか」
「そうだよな。あっ、ちょっと待ってよ。タニシってオス、メスがないんじゃないかな。高橋先生がいつか教えてくれたよ、動植物には雌雄同体ってのがあるって。こんど図書館で調べてみる。でも、何か変だな。他の3種類の名前が形からきてるのに、なんで1つだけヒメっていうんだろう。特別に殻がきれいなのかな?」
「きれいな殻のタニシなんてないだろう。みんな泥のなかにいて、薄汚れた色してるさ」
「ひょっとすると、ヒメって小さいって意味かな。そうすりゃ、4つとも全部形からきた種類になってツジツマが合う」
「浩、お前は変なヤツだな。そんなこと考えてどうなるんだ? タニシなんかどうだっていいよ。それより、今日は何か俺に教えて欲しいんだろ、本当は。男と女のこととか」
「でもね、エキ、物の名前を知るってことは大事なんだ。これ高橋先生にいわれたことなんだけど。たとえばお前が今引き抜いた草、なんて名前だか知ってる?」
「知らないよ、ただの雑草だろ」
「雑草って名前の草はないさ。その何ということもない草にもちゃんとした名前があるんだ。ところが、俺たちはほとんどその名前がわからない。いろんなものの名前が全部わかったらいいだろうなあ」
「どうでもいいから、お前、早くタニシとっちゃえよ」
「うん、そうする」

(注)北海道庁旧本庁舎:通称「赤れんが」で知られる北海道庁の旧本庁舎は、1888(明治21)年にネオ・バロック様式で建てられた、地上2階地下1階の重厚なレンガ造りの建物です。1909(明治42)年に火災に遭いましたが、焼失したのは内部だけで、幸い外壁に大きな損傷は受けませんでした。1968(昭和43)年、北海道開拓100年を記念して、創建当時の姿に復元され保存されることになりました。
 1969年に国の重要文化財に指定されています。現在の道庁はすぐ後ろに建つ地上12階、地価1階の近代的な高層ビルですが、旧庁舎は道立文書館として北海道開拓関係の資料や古文書が収蔵され、一般にも公開されています。一部は現道庁の会議室として現在でも使用されています。
 主人公が小学生だった1950年前後は、道庁も観光客が訪れることは少なく、何か特別な行事がある時以外は、庁舎付近も池のある庭も閑散としていました。物語にあるように、近くに住む小中学生がのんびりと遊べる、小公園といった感じでした。
住所:札幌市中央区北3条西6丁目
営業時間:8:45~18:00/休館日:12月29日~1月3日/入場料金:無料/問い合わせ:北海道総務部総務課 電話:011-204-5019
http://www.welcome.city.sapporo.jp/sites/akarenga.html

この記事にコメントする

 

 

 

これらのHTMLタグが利用できます 

<a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>