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●幼年時代

 第2次世界大戦敗戦後の、荒廃と貧しさが全国各地にまだ色濃く残る1955(昭和30)年。北海道札幌市の中心街にある大通小学校(札幌市立)に通学する、6年生の少年の1年間を描く半自伝的小説。大きく社会が変化して行く中で、当時の少年はどんな生活をしていたのか。今はすっかり大都会となった札幌の自然描写にも注目。

幼年時代 第14回 2人だけの初めての秘密

「私は1人っ子でしょ。お父さんもお母さんも優しいから、私のいうこと何でも聞いてくれるの。大抵のことは思い通りになっちゃう。だから外では自分の思った通りに物事が進まないと、私はすぐイライラしたり、心にもないこと口走ってしまう。ほんとにワガママでしょ。自分が悪いってわかってるのにどうしようもないの」
 俺はこんなことを女の子にいわれたことがなかったから、ますます混乱してしまった。
「静代ちゃん、僕、雲が好きなんだ。雲ってじっと見ていると、いろんなものに見えてくるんだよ。だから雲があれば、僕は1人でも寂しくない。夕方の雲がまたいいんだ。ほら、円山の方を見てよ。すっごくきれいだねえ。不思議な色をしてる。あっ、ほら。雲と雲の切れ目から太陽の光が通って帯のように見えてるでしょう、いいなあ」
「浩さん、私のこと変な子だと思ったんでしょう?」
「そんなことないよ。お母さんも英樹も僕のこと変だっていってるもん。何が変だか自分じゃわかんないんだけど。それより、雲見て。ほら形が変わっていくでしょう。面白いね。不思議だなあ」
「あの縁が赤くなってるのきれいね」
「うん、ほんとだね。1年生の時に高橋君ていう子のお母さん、2年生の時には同じクラスの山崎君のお母さんが亡くなったのね、その時僕は、そのお母さんたちは、今見えてる西の空のあんな雲に乗って、どこか遠くに行っちゃったんだなあ、って思った。僕だったらお母さんが死んじゃうなんてことは絶えられないよ、きっと」
「私はそんなこと考えたこともないけど、死んだ人が雲に乗って行くなんて、浩さんてステキな想像するのね。私が死んだらどんな雲に乗せられる?」
「静代ちゃんが死ぬなんて想像できないよ」
「でも、人間なんていつ死ぬかわからないじゃない。だから私の雲を考えてよ」
「そういうのって、ワガママなんじゃないの?」
「あらっ、浩さんてやっぱり意地悪ね」
「冗談、冗談。静代ちゃんが乗るとしたら、そうだなあ。夕焼けの空に金色に輝いているようなのがいいと思うな」
「金色の雲?」
「そう、ふんわりした柔らかい雲で、縁が金色に輝いてるの」
「私に似合うかな?」
「きっと似合うよ。そして静代ちゃんは襟の大きな白いブラウスに、赤いガウンを羽織るんだ」
「なんだか、キラキラした感じね」
「そう、どこかの国の王女様みたいでしょう?」
「なんか浩さん嬉しそうね」
「気にいらない?」
「うーん。浩さんと一緒だと嬉しいけど、1人で死んじゃうのは寂しいなあ、私」
「でも、人間って大抵は1人で死ぬんだよ。僕も1人で死ぬのはイヤだなあ」
「私と一緒だったらどう?」
「うん。いいかも知れない。でも、僕たちまだ子供だから、こんな話するの変じゃない?」
「変かもしれないけど、一緒に死ぬって決めれば、もう死ぬことで悩むことなくなるよ」
「そうだね。悩みがなくなれば気が楽だよね」
「ほんとだね。なんでこんなことに気がつかなかったんだろう。私、もう怖いものなし、って気分。ねえ、そろそろ帰ろうか?」
「そうだね。少し暗くなってきたし」

 なんで一緒に死ぬ話になったのか俺にはよくわからないが、静代がいうように、何となく気が楽になったから不思議だ。2人とも明るい気持ちで歩き出した。
「ねえ、浩さん。さっきの一緒に死ぬ話は2人だけの秘密だよ。お母さんにも内緒」
「わかった」
「じゃ約束の指キリゲンマン」
「なんか2人だけの秘密があるって不思議な感じだね。嬉しいね。浩さん手をつなごうか。「えっ?」
「私、手をつないで歩きたい」
「だって学校の近く通るから誰かに見られちゃうよ」
「いいじゃない。気にしない、気にしない。誰かまずい人に会ったら手を離せばいいんだから」
 静代の右手が俺の左手を握った。静代の手は柔らかくて、少しひんやりしていた。俺はこれまで、母以外の女の人と意識して手をつないだことなんてなかった。運動会の遊戯で仕方なく目の前にきた子の手をちょっと握ることはあったが、同じ年頃の女の子と、特別な気持ちから手を握ったなんてことはない。静代の手は時々強く握ってきた。気づかないふりをしていると、
「ねえ、浩さん。嬉しくない、2人が誰も知らない秘密をもった関係にあるって? 」
「そうだね。なんかワクワクする。それよりね、僕、女の子とこうやって手をつないで歩くの初めてだから、ちょっと恥ずかしい」
「どうして? 私は全然恥ずかしくないよ。それに私だって男の子とこうして歩くの初めてなんだから」
「そのうち慣れるかもしれないね」
「そうね。でも、不思議だなあ。手をつなぐとすごく優しい気持ちになる。ワガママや意地悪がなおりそう。浩さんの話が耳から入るだけじゃなく、手からも伝わってくるの。私、こういうのにずっと憧れてたんだ。
 ねえ、こんな物語があるでしょう。仲良しの2人が森で散歩しているうちに迷って、手をつないで必死に道を探す、なんて。そのうちに山小屋みたいなのがあって一休みするの。でも、2人とも疲れてたから、手をつないだまま眠ってしまう。物音がして、ふと目を覚ますと、もう夜になっていて、すっかり暗くなってる。でも、2人はしっかり手を握っているから少しも怖くないの」
 と、いいながら静代はギュッと俺の手を握った。

「ねえ、浩さん。藻岩山が好きなんでしょう。こんど一緒に登りましょうか、2人で」
「いいね。でも、迷っちゃうのはイヤだけど」
「迷って夜まで家に帰らなかったら、大変なことになるね」
「静代ちゃんのお父さんなんか、警察に捜索願いを出しちゃうんじゃない?」
「無事に救出されても、2人はもう付き合っちゃダメっていわれるかもしれないね。それは絶対イヤだから、迷わないように気をつけようね」
「うん。静代ちゃん、何だか僕、恥ずかしくなくなってきたみたい」
「ほんと?  嬉しいなあ。浩さんの手って温かいね」
「静代ちゃんの手は少し冷たいよ」
「そう? 同じ人間なのに不思議だね」
 俺は手をつないで歩くのが、いつの間にか恥ずかしくなくなっていた。静代の思っていることが握った手から自分の体に流れてくるような、幸福な気持ちがした。俺はいつまでも、こうしていたいと思った。この気持ちが、女の子を好きになる、ということなのかな、と少し母に悪いような気がした。
「ねえ、何考えてるの?」
「僕、静代ちゃんが好きなのかもしれないなあ、って思う」
 静代は返事の代わりに、手を強く握って、そのままにした。

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