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●オーディオの詩と真実

 音楽好き60年、音楽製作45年、音楽・オーディオ雑誌の編集長25年。この経験を通じて、今どうしてもこれだけは音楽・オーディオファンに伝えたい、と筆者が思っているあれこれを、さまざまなテーマに分けてお届けします。目から鱗(うろこ)、とは古い表現ですが、ああオーディオってそういうものなのか、と長年の疑問が晴れるような話題も満載。

アキュフェーズの登場(2)~欧米文明受容史としてのオーディオ

●春日二郎さんの書き残された文章を読む

 アキュフェーズ創業時前後の事情について知るには、恰好の資料があります。それは私が編集長をしていたオーディオ・音楽雑誌「LISTENVIEW(後に、Sound Stageと改題)」の第7号、1990年9月下旬発行号に寄稿された春日二郎さんの「本質を求めて ― 創業時代の思い出」です。春日さんは当時アキュフェーズ株式会社の社長を出原真澄さんに譲り、取締役会長となっていました。
 久しぶりに春日さんの文章を読み返してみると、アキュフェーズの創業事情だけではなく、1970年代前後の日本のオーディオ界の実情がよく描かれていると感じました。20年前の古い雑誌掲載記事ですから、今ではご存じの方も少ないと思いますので、今回はできるだけ忠実に引用しながら、日本のオーディオ史を振り返ってみようと思います。

― 最近は(1990年前後のこと)、どこの国のオーディオ店へ行っても日本製品ばかりである。今や世界のオーディオ市場の日本製品は80%を越えるといわれており、スピーカーと特殊製品を除けばほとんどメイド・イン・ジャパンになってしまった。
 アメリカ商務省の調査によれば、今から20年前のアメリカにおける自国製オーディオ製品の市場占有率は90%だったが、現在は何と1%になってしまったとのことである。これはアメリカのメーカーが、自分の造る製品の競争力を強める努力をせず、賃金の安い外国に安易に生産を依存した結果である。―

 敗戦後から1970年ごろまでに比べて、それに続く20年間にいかに日本のオーディオ事情が大きく変わったかが読み取れます。しかし、ここで春日さんがアメリカのオーディオ製品といっているのは、いわゆる高級オーディオ機器ではなく、ウォークマンに代表されるカセットテープ製品、ラジカセ、ミニコンなどのシステム製品、そしてなんといっても1982年にデビューしたCDプレーヤー関連製品がその大半です。
 アメリカの業者が日本製ラジカセをハンマーで叩き壊しているシーンのテレビ報道が、アメリカの苛立ちをよく表わしていました。また、私はソニーがポータブルCDプレーヤーの第1号機「D-50」を発売した翌月の1984年12月、当時ソニーの会長だった盛田昭夫さんに単独インタビューする機会がありましたが、そのとき盛田さんは、この当時日本製品の輸出が過剰だというアメリカの非難は、為替相場が円安に過ぎることも原因だ、といわれていました。

1984年11月に発売されたソニーのポータブルCDプレーヤー第1号機「D-50」。価格は49,800円。CDの本格的普及に弾みをつける製品として、大きな話題を集めました

 しかし、春日さんはアメリカが「賃金の安い外国に安易に生産を依存した」ことによって産業が空洞化している点を指摘されています。今から20年前のアメリカのことですが、今日の日本の産業界に共通することでもあります。敗戦後アメリカを見習って高度成長をしてきた日本ですが、その手本となったアメリカのこういう部分まで見習うことになったのは歴史の皮肉としか私には思えません。

― 私(春日二郎さん)は1950年代からトリオ株式会社(現ケンウッド)の技術責任者として日本製オーディオ製品を輸出するために世界中を駆け回り、1964(昭和39)年には、外国文化に身をもって接する必要を感じ、アメリカに住まいを移して現地で4年ばかり商品企画や設計をしたことがあった。しかし、当時の日本の工業水準は現在(1990年ごろ)のNIESより劣る幼稚なもので、マッキントッシュ、フィッシャー、スコットなど現地有名メーカー製品が堂々と並ぶ店頭の片隅に置かれた自社製品に、悲しい目を注いだものだった。―

 ソニーの盛田昭夫さんがニューヨークに家族とともに住んだのは1963(昭和38)年でしたから、日本のオーディオ界に大きな名を残した2人が同じ時期にアメリカで生活をしたことになるのです。ソニーとトリオはその当時は、まだそれほど大きな企業規模の差はなかったし、日本企業が世界で通用するには創業者がアメリカで生活をしながら、市場開拓をするということが重要だったことがわかります。そして、1960年代はまだ高級機分野では日本のオーディオ製品はかなりの遅れをとっていたのです。この頃、五味康祐さんなどのように音にこだわるレコードファンたちを虜にしたのは、海外メーカーの高額製品でした。

― その後、1970年ころから、真空管に代わって日本の半導体技術が世界をリードするようになったのがきっかけで、わずか20年ほどの間に日本は世界のオーディオ製品の大半を生産するようになり、1982年にはCDが誕生し、先鞭をつけた日本のメーカーは、またまた世界的に1歩前進することになった。現在、欧米のオーディオ・メーカーで生き残っているのは、高級アンプやスピーカー、特殊品を作る小規模なメーカーだけである。―

 これは前回すでに書いたことですが、日本は70年代のトランジスター(半導体)と80年代のCDで、世界のオーディオ生産国として大きく成長することになったのです。

― 戦後20年ほどの日本のオーディオ界はパイオニア、トリオ(ケンウッド)、サンスイ、ティアック、オンキョーのようなパーツメーカーから発展したオーディオ専業メーカーが主体だったが、60年代の中ごろから大手家電メーカーが一斉にオーディオ機器の製造をはじめたため普及化が促進され、趣味商品だったオーディオ市場は急速に底辺層にひろがり、価格の安い量販商品が主体になってきた。テクニクス、オットー、オーレックスなど大手メーカーのオーディオ・ブランドが誕生したのもこのころである。―

 この部分は私が前回書いたこととほぼ同じです。市場性がある、つまり売れる可能性があるとなると、その製品分野にしっかりしたノウハウや情熱がなくても、多くの企業が次々と参加して販売を競う、というのは日本だけではなく、世界の先進国に共通する傾向で、これがいい方向に働くのは歓迎ですが、いたずらに競争だけが激化してしまうのは、20世紀後半以降の社会の大きな問題ではないかと思います。

― 80年代に入ってVTRやLDの出現で映像市場が拡大して純粋オーディオを浸蝕し、販売チャンネルも大衆的な商品を扱う大型量販店と、趣味製品を扱う少数の専門店に分化し、オーディオ界は大きく変貌した。20年前を振り返ると夢のような変化であり、これが将来どのような形に変わって行くのか、オーディオ文化の未来を考えると大変興味深く、また心配でもある。―

 現在のオーディオ界をみると、春日さんの“心配”が当ったといえなくもない部分もあります。春日さんがこの文章を書かれたときから数年後、私は次世代オーディオがどうあるべきかを考える懇話会で何度か春日さんとご一緒することになり、いろいろとお話をしました。それについては別な機会にご紹介したいと思います。次回はアキュフェーズの誕生について、創業者自身の貴重な証言となる部分を一緒に読みたいと思います。

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